近代西欧科学を超えて
●ジョセフ・ニーダム ●伊東俊太郎 ●村上陽一郎

月刊NIRA 1981.12


科学史の方法

村上  私が一応司会役を務めさせていただきます。
 私たち三人の関心は科学技術史ですので、最初に科学技術の歴史展開をどう見るかというところから口火を切ったらどうかと思います。 つまり、個別的な問題を取り扱う前に、非常に大きな観点から見て、科学技術の歴史展開のヒストリオグラフィーをどのようにとらえるかということを、まずお二方からお話しいただければありがたいと思います。 ニーダム先生、まず基本的な立場をお話しいただけますでしょうか。

ニーダム まず最初に、歴史的な展開を正しく見ることが必要なのではないでしょうか。 われわれの著作の中で注意深くやっているように、古代および中世の科学と、近代科学とを区別して考えなければなりません。その二つには基本的な違いがあります。 その区別がどのようなものであるかを『中国の科学と文明』第二巻で示したつもりですが、それをまとめれば次のようなことが言えるのではないかと思います。
 近代科学の特徴は、基本的には自然の仮説の数学化なのではないでしょうか。また、実験によりそれを検証するのが近代科学であると考えています。 このことは古代あるいは中世の科学ではそれはどはっきりと現われてはいません。 ただし、科学を近代科学としてのみとらえるのは大きな間違いです。 この見方では世界の中における科学史について論ずることはできません。
 さて、古代、中世の科学は特に東アジア文化圏の中で大きな成功をおさめたわけですが、ここにわれわれがこれから解明すべき二つの問題が出てきます。
 まず最初は、なぜ近代科学が西洋あるいはヨーロッパにおいて、ルネッサンスおよび資本主義の台頭、宗教改革、 あるいは他の幾つかの大きな改革めときにのみ起こったか、しかも西洋だけに起こったのかという問題です。
 二番目は、それ以前の1400年の間、なぜ中国が西洋よりも知識の獲得、その応用による生活水盤丁の向上の点で成功してきたのかという疑問です。 このことを考えるに当たっては、インドの古代科学、あるいはイランの文化圏における科学史を合わせて見ていかなければならないと思います。
 たとえば、いままでインドの科学史に関してはほとんど論議されることはありませんでした。 もちろん、個別の分野ごとの独立した著作は多数ありますが、それを総合的に統一したものはありません。 インドでも最近はこれらの体系化の努力が払われており、たとえば、古代における文明の発展と非常に広範囲にわたる原子論の展開を扱っています。 インドの原子論がヨーロッパに影響を及ぼしたかどうかわかりませんが、とにかくヨーロッパより早く、初期のインドではこういった分野において非常に成功をおさめていましたし、 科学ではなく、むしろ哲学的な思索に原子論を用いていたのです。
 というわけで、近代科学と古代、中世の科学をはっきりと区別することが必要です。 そして古代科学を扱う場合、まず古代科学、それから中世の科学を含めて、そして近代科学を含めた全体を見ていくという方法が必要なのではないかと思います。 伊東 私もニーダム先生と同様のことを考えたことがありますので、述べさせていただきます。
 いままで科学史と申しますと、西欧科学史 という意味に解され、その典型的なヒストリ オグラフィーはギリシァ・ローマの古典古代 からラテン中世に入り、そして近代西欧科学 の誕生に至るという系譜が問題にされていた と思うのです。ニーダム先生やその他の方が たが中国の科学についてのエポック・メーキ ング的な著作を出される前は、やはりそうい う傾向が主軸となっていて、他の文明圏にお ける科学的な仕事、たとえば中国、インド、 アラビアなどは不当に無視されるか、あるい は近代科学の本流に対する傍流として付帯的 に取り扱われていました。そういう西欧中心 主義が科学史の中にあった。                                                                 

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