ベノワ・マンデルブロ
Benoit Mandelbrot

(IBMワトソン研究所主任研究員/ハーバード大学教授)

怪物モンスターを飼う怪物フラクタル、を飼いならす

過去30年間、私のアイデアは非常に効果的に自己組織してきた。
フラクタルはその土台の上で、
自由に振る舞い続けるであろう。


1986年6月発行
●取材協力・訳/湧源クラブ(池田和正、岸美佐、観音康夫、小林正典)
●協力/日本建薬学会
●写真/英 隆


CG、コンピュータ・グラフィックスによって美しく表現された図形、 フラクタル注1と呼ばれるその数学的図形は、自然の中に存在する隠れた秩序について、深い示唆を与える。 いまやフラククルは、不思議な図形、美しいかたちとして私たちには馴染みやすいものとなっており、その数学的意義 は、自然科学の多くの分野に浸透し、認められるものになった。しかし生みの親マンデルブロにとっては、フラクタル はあくまでも、飼いならせない「怪物」である。それは永遠に、人間には馴染みにくい、不可思議な理論を生み出しつ づけるものであるようだ。ときには人びとに、全くそれを受けいれられないような拒否反応をもたらすもの一相手がた とえ科学者だとしても−、それこそがフラクタルが指ししめすところの、数学的「怪物」の真の姿なのである。そのよ うな「怪物」を生み出す魔法使いたち、カントール然り、ペアノ然り、マンデルブロ然り‥‥‥彼らには、イメージの 魔術師としての特別な資格が、数学者としての特別な才能があるのだろうか。




私は視覚的人間です。

戦争が終わったとき、

自分には数学的操作を習う必要が

ないことを悟りました。


AlJ−−−早速ですが、あなたの“Ahaの瞬間”についてお伺いしたい。フラクタルの基本的なアイデアというものは、一度にパッとひらめいたのですか。それとも長い時間かかって徐々にできたものなのでしょうか。

マンデルブロ−−−“Aha”というのは一瞬ではなくて、それには10年、あるいは15年もの時間が、費やされています。 ずいぶん長い時間、私はある種のテクニックを研究してきましたが、最初はそれがこうも発展するとは思ってもみませんでした。 とりあえず目前の論文のためにと始めたことが、時が経つにつれて、このテクニックは有用なものではないか、と思えてきたのです。
 20年ほど前、私は初めて、それまで自分のやってきた仕事、実にさまざまな仕事を、全体として一体何だったのか、ということを自問する機会を持つことになりました。 なぜそういろいろなことをやったのか、ということを反省するうちに、自分が何を発展させてきたのかということが、だんだんわかってきた。それを、ちょっとした小論にまとめてみたのです。
 ところが、その小論は掲載されなかった。なぜかというと、まだCGが世に出る前のことだったので、読む人の感覚に訴えるようにやさしく衰現することは至難の業だったんですね。 そこで、待ったのです。表現のためのもっと良い言葉が見つかるまでね。そして、ついに言葉の代わりに“絵”を得た。CGが使えるようになったのです。 その頃は、ペンとトレーシングテーブルだけ のとても単純なものでしたが、私は、世界でも真っ先にCGを使いはじめた一人でしょうか。
 そして、私が考えていたこと、それが非常に幾何的なものであるということがわかったのです。私は大いに、目でイメージをとらえる「視覚的人間」だったわけです。
 少し昔のことをお話ししますと、学生の頃から私は視覚的でした。なにしろ戦時中で、7年間 も学校に行かなかったのですが、戦争が終わって再び学校に行ったとき、自分には数学的操作を習う必要がないということを悟りました。 私は、幾何を使っていつも正しい答えを出すことができた。計算は、ちょっと間にはさむだけでした。 計算に何枚もの紙を要し、しかも計算間違いに大いに注意しなければならないような面倒な問題でも、私はまず計算ではなく、絵を描いて考えてみるのです。 それからちょっと計算してみて、確かめてみたものでした。
 そうした普通の人とは違う体験もあり、CGを真っ先に使ったわけです。 私が考えていたことは、文章で書くより絵で描くほうが、ずっとよく表現できることがわかり、どんどんCGに依存するようになりました。 CGに依存することには二つほど意味があって、一つは、人々に説明するということ、西洋の言葉で言うところのレトリックを用いて、説明するわけです。 そしてもう一つの依存というのは、発見に使うということです。ある目的のために描かれた絵を見ていると、その中に、何か別の目的のものが見えてくる。 ある一つの理論のために描かれた絵が、また別の理論をも図示しているのですね。この2番目の意味で、私はいろいろなイラストを目で見て想像力を働かせてみるのです。
 山や海岸線の形について最初に考えていたのは20年ほど前ですが、20年前にはまだ図で説明できませんでしたから、論文−これは広く読まれたのですが−を書いたときも、中の議論は言葉と式を使っていたのです。
 で、いよいよ“Ahaの瞬間”ですが、これは1975年頃、「フラクタル」という言葉ですべてを表した頃が、そうだと言えるのではないかと思います。 この時、あらゆるものが一つに合わさり、私はすべてのものを一つの土俵にまとめて見ることになったのです。ただし、“Ahaの瞬間”がすべてではありません。 その前にいろいろなものが発展していく段階があったわけで、まずものごとがだんだん発展していって、そして“Ahaの瞬間”があって、すべてが感じられたのです。

AlJ−−−つまり、“Ahaの瞬間”というのはあった、それはあなたが何か複雑なものをとらえることができたときだったというわけですね。

マンデルブロ−−−ええ。私の“Ahaの瞬間”というのは、それまで長い間やってきたことが、もはや、これはこっち、あれはあっちといったバラバラのものではなくて、一緒のことなんだ、と悟ったときです。 例えて言えば、初めにいくつかの村があって、それが大きくなるうちにくっついて、一つの都市になるようなものです。私の研究の対象は、もはや村ではなく、いまや一つの都市になっています。
 しかし、それぞれの村には別の“Ahaの瞬間”もあります。長い間、ある問題を解こうと頑張っているとき、突然、「だめだ、この方法じゃできない」と感じる瞬間もありますし、この意味で、“Ahaの瞬間”というのはいろいろあるわけですね。

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