James.D.Watson
(コールド・スプリング・ハーバー研究所長)

LIFE is DNA !!

現在の生命科学は、“生命の本質はDNAにある”という認識のもとに

まだまだ発展せねばならない。そのためには、

遺伝子や生体高分子の解析を軸にして、分子生物学をさらに推進すべきである。

 

取材協力・訳/朽津和幸、伊藤仲春、三ケ尻正、村田勉 ●写真/英隆

 

 

 

 

哲学はきらいです。
理屈の上に理屈を重ねるようで、
性に合わないのです。
物理学もあまり好きではありません。

 

AIJ まず最初に、あなたの興味の変遷について伺いたいと思います。なぜ生物に興味をもつようになったのか、なぜ生物学を専攻しようと思ったのかから聞かせていただけますか。

ワトソン それは、動物が好きだったからです。

AIJ 子供の頃からですか。

ワトソン ええ、特に烏が好きでね。父が昔から大の烏好きで、私が子供の頃は、よく鳥を見に連れていってくれたり、鳥の本を買ってくれたりしたものです。それがかれこれ10歳ぐらいのときで、13歳の頃には、真剣に鳥のことを研究しようかと考え始めました。それからもずっと鳥が好きで、大学を卒業した頃、つまり19歳くらいまで続きました。大学院に入ってからは熟もさめてきましたが。鳥を見るのが好きだったのがきっかけで、生物学の本を読むようになり、大学では動物学を専攻することにしました。当時は、生態学者になってもいいと思っていました。一方、「生命とは何か?」という問題にも関心をもっていて、その結果、遺伝学に興味をもつようになりました。生きている細胞で最も基本的なことは遺伝情報だ、というふうに思ったのです。
 それからは「生命とは何か?」ということについて論じた本を読むようになりましたが、満足のいくようなものはほとんどなくてね。大学3年のときやっと、シユレーデインガーの『生命とは何か』という本にめぐりあうことができました。この本のテーマは遺伝子の本質についてであり、生物の増殖はどのように行なわれるのか、突然変異はどのようにして起きるのかなどについて論じてありました。この本を読んで私は、遺伝学者になろう、そして遺伝子の本体をみきわめてやろう、と決心したのです。

AIJ 科学者の中には、そのシユレーデインガーの『生命とは何か』に影響を受けた人が多いようですね。

ワトソン ええ、小さい本ですが、生命の物質的基礎の本質を鋭く突いた本でした。こうして私は、大学院ではできればインディアナ大学に行こうと思いました。1946年当時、ちょうど有名な遺伝学者、ハーマン・マラー(注1)が移って来たばかりで、カリフォルニア工科大学と並んで当時のアメリカで最も遺伝学の研究が盛んな大学だったからです。私はカリフォルニア工科大学も受けたのですが、数学と物理の成績が悪くてね。きっとあまり見込みのある学者の卵にはみえなかったのでしよう。結局、インデイアナ大学に入ることになりました。

AIJ ハーバードも受験されたという話を聞いたことがありますが、本当ですか。

ワトソン ええ、確かに受けましたけれども、あれはいうなればジョークですよ。行くつもりはありませんでした。いい学校として有名だったのも事実でしたが、真剣に遺伝子に取り組んでいる学者がいなくてね。進化をやっている学者はいたんですが、遺伝子そのもの、という人はいませんでした。

AIJ 15歳のとき、跳び級をしてシカゴ大学に入ったのでしたね。

ワトソン アメリカの中高生っていうのはあまり勉強しなくて、大学に入ってようやくまじめに勉強しだすんですよね。日本じゃ正反対で、大学に入るまで猛勉強して、入るとあまりしないそうですが…。で、私は高校を2年でさっさとやめて、人より早く大学に入る小人数のコースに入りました。そうして私は科学者としてスタートを切ったわけです。他の人より若いときにね。
 神、信仰といったものが、私の生命の中でどのような働きをしているかを知りたいと欲していたこともあって、少年の頃から生命というものの本質に興味がありました。父親が特に信仰心をもたない人でしたし、結果的には私もその後を継いだことになりましたがね。そして生命の本質というものが、神が創造したものだなどとは思えなかったので、ダーウィン流の進化論と同時に、この世で最初にどんな生物が、どのようにして生まれたのかということについて、興味をもったのです。
 物理はきらいで、化学のほうにずっと関心がありました。生物は分子からできていますからね。それに生物学をやるのに、物理はそれほど深いところまでわからなくても、何とかなるものでしょう?

AIJ シカゴ大学では、誰か深い影響を受けるような学者との出会いはありましたか。

ワトソン 当時シカゴ大学には優秀な科学者が揃っていました。遺伝学の分野にもライト(注2)という優れた集団遺伝学者がいて、私も彼の講義を聴きましたが、彼は進化についても研究していました。ライトはこの分野に数学的な理論を導入して成功をおさめた人で、また彼言うところの生理遺伝学、つまりさまざまな生理現象と遺伝子との関係を研究していました。私は、すでに学部学生の頃から、遺伝子の機能は酵素を決定することにあると思っていました。遺伝子と酵素との関係を明らかにし、 そのためにどんな生物を研究すればいいか、などと真剣に考えていた人なら、だれでもそう考えていたはずです。
 大学院では、バクテリオファージを研究していたサルヴァドール・ルリア(注3)の研究室に行きました。フアージやウイルスは、遺伝子を自己複製する最も単純なシステムであり、その結果を直接、これもまた最も単純な細胞である細菌に応用できるという意味で、遺伝子研究のためには最も単純で格好の材料でした。どんな現象を研究するのでも、最も単純なシステムを選ぶことが肝心ですね。私もこのようなルソアのやりかたから大きくはずれたことはありません。
  私は政治などの社会科学や歴史なども好きでしたが、哲学はきらいでした。理屈の上に理屈を重ねるだけみたいで、性に合わなかったのです。好きだったのは、そう、“科学”であって“哲学”ではなかった。私にとってその2つは全く別物で、“哲学”のほうはよくわからなかったし、肌に合いませんでした。

AIJ 理論よりも現象そのものに興味があったというわけですね。

ワトソン その通りです。物理の理論なんかもあまり好きではありませんでした。当時の物理学は、すべてを陽子と中性子と電子だけで片づけていたので、いまのように複雑じやなかったのにね(笑)。叔父が物理学者だったので、そちらの世界も少しは知ってはいましたが、進んで入りたいとはちょっと……。もちろん私も少しは物理をやりましたが、それでバクテリオファージにちょっと飽きたときだけです。物理学者の中には生物学に移つてきた人もいましたが、ひょっとすると遺伝子の複製の研究から、新種の“力”でも出てくると思ったのでしょう。つまり、物理学者にとって未知の引力のような“力”が働いているのではないかということです。あまり大マジメに受けとられたわけではありませんが、もしかすると生体内で働く未知の“力”の性質がわかるかもしれないと思っていたのでしょう。
 大学院1年のときには核物理の講義もいくつかとりましたし、数学も少しはやるようになりました。ポアソン分布など、初歩的な統計学は知らないと困るので多少やりましたし、大学院1年のときには中級の微積分もとりました。そのときのできは前よりはましでしたね。以前は数学的な概念がさっばりわからなかったのですが、少しは数学の勉強法がわかってきたのですね。

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