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金出武雄の「問題解決の7か条」

■第7回■
素人発想・玄人実行


【2007.01.01】

写真 私はつねづね「素人発想・玄人実行」と言ってきた。
素人のように発想して、玄人として実行するということだが、これは、玄人つまり専門家に対する警告なのだ。と同時に私自身への自戒でもある。

研究開発にとって発想は、単純、率直、自由、簡単でなければならない。そんな、発想を邪魔するものは何か。それはなまじっかな知識---知っていると思う心---である。
知識があると、「それは難しい」「そんな風には考えないものだ」などという。
私などのように大学教授とよばれる職業の人間はつい「その考えはね、何年に誰それがやろうとしてできなかったんだ」などと知識を披瀝したくなる。
実際、専門家とは「こういう場合には、こうすべきだ」「この場合は、こうしてはならない」というパターンを習得した人である。逆に言えば、その型に呪縛されることになる。飛躍した発想が生まれない危険性がある。
既存の方法でうまくいったという経験と知識が発想の貧困を招くこともある。

現在のコンピュータの原型を考え出した超天才フォン・ノイマンでさえ、FORTRANのアイディアを聞いたとき
「コンピュータのプログラムを書くのになぜ機械言語以外のものが要るのか」と気に入らなかった。また、アセンブラーを作って、ノイマンのコンピュータで走らせた学生には、
「そんな事務員でもできることをコンピュータにやらせるなんて、無駄だ」と怒ったという。玄人の思いこみは恐ろしい。

玄人がもつ成功体験のパラダイムからいかに自由になるかが難しい。パラダイムとは、そのパラダイムの内部にいる人間にはそれとして自覚できないものだ。
だからといって、玄人が素人と組んだらよいかといえば、大方それも駄目だ。

「考えるときは素人として素直に、実行するときは玄人として緻密に」行動しろということだ。本当の玄人は、「自分の玄人性」に自ら疑問を持てる人だ。
一度リセットして、自由な素人発想をしなければ、次の段階に進めない。せっかく築いたものでも捨てなければならないことがある。
プロとしていい仕事ができるか、できないか、アイディアを完成できるかどうかの分かれめは、捨てて変える決断力、勇気があるかどうかであろう。

最近は「失敗学」などという学問もある。「成功から学ぶ」とか「失敗から学ぶ」とは誰でもが考えることである。実は「成功を疑う」ことが一番難しい。

人生で自然によい仕事をする時期がある。アメリカでいえば大学院の学生たちで、ドクター論文を書いたりする時期によい仕事をする。素人と玄人が混ざり合っている時期だ。素人の素直さと、玄人になりかけた緻密さを身につけはじめた頃だからだろう。

私の自宅の居間には、書家に揮毫してもらった「素人発想 玄人実行」の額が飾ってある。

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